旅の思い出 30年前のスペインとイタリア

ポンペイの遺跡です

昔の旅は、今のように個人での自由な旅は少なく、概ね旅行会社のガイドに引率されてという旅がほとんどだったように思います。

欧州は陸続きの国で成り立っています。場所によっては、足を一歩踏み出したらよその国と言う事になるのです。ユーロ圏の確立されていない時です。(ユーロ圏の確立は199911日)当時の貨幣はフランスはポンド、イタリアはリーラ、スペインはペセタと言うように国によって違いました。又、ビザの要る国とそうでない国、面倒な事を抱えての旅という訳です。ましてや事情のよくわからない国への旅だと言う事もあり、個人でと言うより旅行会社にお任せでプランを立てて貰う方が便利でした。

そのプランは、概ね観光目的であれば様々な国を訪問する事で顧客の満足度を高めようと言うのでしょう。その為、国から国へ滞在時間や渡航時間も含めて一、二泊(車中泊や機中泊もありました)で一つの国を去る事になるのです。旅行期間も十日から二週間が普通でした。

考えたら欲張りな旅、でも中身のとても薄い旅、それでも人並みにカルチャーショックを受け、それなりに満足した旅でした。

今回は、当時のイタリアとスペインを垣間見た時の印象を書こうと思います。

イタリアの首都ローマには、空港からバスで入ったのですが、前日が大雨で洪水になったらしく、すり鉢状になった中心部には行けないと言うのです。仕方なく、バスで周囲を回ると言う事になりました。コロッセウムも街中の古代の遺跡も、概ねバスの中から見て回るだけの残念な事になりました。ただ、記憶に残っているのはパスタの美味しさです。今ほどイタリアン料理が流行っている訳ではありませんでしたので、本場のパスタを食べた時は驚きました。トマトソースで和えただけのシンプルなパスタですが、コシがあり、パスタ本来の旨みが感じられて、忘れられない味となったのです。また、誰でも立ち寄れるような気楽な店内にバイオリンを引く人がいた事も印象的でした。

曇天の1日目と違い、翌日は晴天です。私はローマ市内をもっと観てまわりたかったのですが、予定はポンペイ観光。片道4時間かけて行きました。ほとんど建物らしきもののない街道をひたすらバスは走ります。ポンペイはご承知の通り遺跡です。古代ローマの一都市として繁栄していたそうですが、西暦49年ヴェスヴィオ火山の大噴火により火砕流によって地中に埋もれてしまいました。18世紀に入って発掘が始まったと言います。私達のガイドさんは、まだまだ地中に埋もれている部分が多く、まだ発掘は何年もかかるだろうとの話です。

当時、ポンペイ観光を選ぶ人は余りなかったように思います。遺跡はとにかく広く、とても全部を回ることは出来ません。ただ、とても整備された街だったと言う事はわかります。その中でアポロ神殿や公衆浴場跡、円形闘技場跡が記憶に残っています。逃げ遅れた人の人型などもあり、その時の混乱の様子も手に取るようにわかります。家の床などに使われたモザイクタイルも色味が残っていて、遺跡に興味のある方なら私よりもっと楽しめるでしょう。何せ遺跡発掘と言っても遺跡の修復もしなければならず、お金がかかる事で容易に進まないと聞きました。

このような日程になり、最初のイタリア訪問は土気色のポンペイしか思い出す事ができません。

翌日は飛行機でスペインに入り、マドリードに向かいました。とても暑い日で通りの気温が42度と表示されています。でも歩いていても、日本のように湿度が高くないので、蒸し蒸ししません。サラッとしているのです。

スペインと言えば、私は酒場を思い出します。

旅行を共にしたご夫婦と夜の街に出ました。夫妻は以前にもスペインを訪れた事があるといい、何だか洞穴のような酒場に連れて行ってくれたのです。誰もがジョッキを片手に歌っていました。私は大柄なスペイン女性の隣に案内されました。片言の英語で自己紹介を簡単にした途端、女性の腕が私の肩を抱き、その時かかっていた曲に合わせて身体で拍子を取りながら歌い出したのです。私もサングリアのジョッキを片手にその女性に合わせました。

彼女は包み込むような微笑みを絶やさず、私を歓迎されていると感じさせてくれたのです。

スペインのバル

その印象が強かったのか、ランチで頂いたイカ墨のパスタの美味しさやピンチョスの味も遠のいてしまいました。

徒然草の第五十二段の話で兼好法師が「少しのことにも先達はあらまほしき事なり」と締めています。私もスペインを知り尽くしたご夫妻のお陰で、通り一遍だったはずの旅がスペイン女性の温かさに触れた思い出に変わりました。

ポンペイの遺跡です
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