豊かさとは何でしょうか?
現代人の生活と言えば、本当に1分でも1秒でも惜しむほどの忙しさで、あっという間もなく1日が駆け抜けていきます。そして、それを煽るような情報の嵐です。一方で、本や雑誌、ネットには日常の忙しさとおよそかけ離れたラグジュアリーな内容が掲載され、まるでそれをやれば、一瞬で心身が癒されて素敵な心豊かなあなたになれるかのようです。
本当にそうでしょうか?
私は「お茶の時間」を大切にしてきました。特別なものではありません。家にあるコーヒー、紅茶、日本茶とそれに合うお菓子を用意するだけです。
昔は子供が幼稚園から帰ったら、すぐに「お茶の時間」を始めました。テーブルにはお茶の時間」にふさわしくテーブルセンターを掛けたり、お茶用の少しオシャレなランチョンマットを敷きます。大体が子供の好きなミルクティーにケーキ・クッキー、時にはホットケーキを焼きました。次女はその日にあった面白い事、困った事、嫌な目にあった事など次から次へと楽しそうに話し続けます。長女は言葉少なに考え考え、ポツポツと話し出します。私はミルクティーのお代わりを注ぎながら、相槌を打ったり、言葉を挟んだりします。ただ、それだけの事です。
「お茶の時間」は毎日続けました。子供達が成長し遅くまで勉強をするようになると、帰宅した時だけでなく、夜にも「お茶の時間」を取りました。疲れた頭をリフレッシュするのに、ほんの15分程度の事ですが、わざわざ子供達をリビングに呼びました。
「お茶の時間」は、娘達が大人になった今でも続いています。会社から戻ったら、夕飯の前に軽く「お茶の時間」をするのです。今では、娘達の話を聞くばかりではなく、私の話を聞いてもらう事も多くなりました。お茶も和風の取り合わせが多くなり、上生菓子に合わせて、煎茶やほうじ茶だけでなく、苦味が美味しい抹茶を点てる事もあります。
心の澱とでも言うのでしょうか。私達家族にとっての「お茶の時間」とは、それを濾過する時間なのです。出先で起きた理不尽な出来事などの心に溜まる澱が無くなれば、心も澄んで、段々と落ち着きを取り戻します。
「お茶の時間」は一人でも出来ます。コーヒー片手に窓の外の雲の流れをボーッと眺める。好きな音楽、例えば夏はinnner Resort(インナー・リゾート)シリーズのKOOL BREEZE(クール・ブリーズ)、この曲はいきなりリゾート気分にさせてしまいます。秋の季節にはMICHEL LEGRAND TRIO(ミシェル・ルグラン・トリオ)のAUTUMN IN PARIS(オータム・イン・パリス)など流しながら…
心の中をいつも静かに、そこに豊かさがあると思います。
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