明けましておめでとうございます。良いお年をお迎えになられた事と存じます。
ところで、年明け早々の能登半島地震には驚きました。東京でも長期に感じられた揺れは、船酔いにも似て気分が悪いものでした。能登の方をはじめ、地震や津波に遭われた方々の突然の恐怖や不安はいかばかりだったかと心よりお見舞い申し上げます。まだ被害の全容もわからない状態です。最小の被害であるよう祈るばかりです。
能登は一昨年の秋、次女と旅したところでした。しかも宿泊したホテルは七尾湾に面していて、その水面の穏やかさに心癒された思い入れのある場所でした。また、羽咋市にある由緒ある氣多大社はどうなっているのだろうかと案じられます。荒々しい日本海に臨む場所でランチを頂いたあのお土産屋さんは無事でしょうか?まだあと一週間は地震の恐れがあると言います。心配です。一刻も早いインフラの回復と、人々の心のケアに努めて頂きたいと望みます。
我が家のお正月は昨年同様、氏神様に初詣する事から始まりました。
コロナ禍が緩和され、遠くの有名な神社に参拝する人々が増えました。そのせいでしょうか。この数年より地元の参拝者が減った感じを受けました。手水舎も復活していて、後ろから「ハンカチ忘れちゃった。」の声が聞こえました。
マスクを外した人が増えましたね。私はマスク・手洗い・ソーシャルディスタンスを今も続けています。私の信条の一つに「準備8割」と言うのがあります。成功を導くには準備こそが大切だと考えています。後の「2割」を達成するためのものです。千利休の言葉に「降らずとも傘の用意」とあります。準備をしていれば、慌てる事はないと教えています。
ところで、一月一日を「元日」、その日の朝を「元旦」と呼ぶとご存知でしたか。「正月」と言う言葉は中国から伝わりました。新しい年は歳神様(としがみさま)が連れてくると信じられていました。「正月」は新しい歳神様を祀り、五穀豊穣や家内安全を祈るものなのです。日本人にとって正月は重要な儀式でしたので、現代にもおせち料理を準備する、鏡餅を神仏などに供える、お雑煮を頂くといった「しきたり」が残っているのです。
我が家はお取り寄せした有名レストランの「おせち」だけでなく、このブログで紹介した「黒豆」、「紅白なます」を今年も作りました。黒豆には「金箔」を載せ、お祝いの気持ちを込めます。また、お屠蘇は清酒と氷砂糖に「屠蘇散」を三日ほど漬け込みます。家族で新年の挨拶が済むと、お屠蘇は若い人から順にいただくのがしきたりです。これは、年長者が年少者の未来にあやかって若々しくいられるという願いが込められています。もちろん、私も最後に頂きました。
それにしても私が嫁いだ頃からするとビックリするほど簡単になりました。今年のお正月はゆっくりこれからの一年を考えてみたり、暮れの掃除で見つけた手付かずの本を読んだりして過ごそうと思っています。
私は例年一月を「祈りの月」と考えています。娘たちと都内の崇敬神社に参拝に参ります。能登半島地震で被害に遭われた方々の幸せも祈らせて頂きたいと思っています。
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