老いの手習いと申しますが、私がピアノを始めましたのは、5〜6年前の事になるでしょうか。きっかけは記憶力の低下です。聞き返す事が多くなり、ピアノは脳に刺激を与えるからと言う長女の助言でした。
私は特に音楽好きだったわけではありません。
ただ、子供時代にはラジオから何かしらの音楽がいつも流れていました。童謡もラジオで耳にしていたのでしょう。子供の頃には声に出したこともない歌詞が、何十年もたった今、急に口をついて出たりします。記憶と言うものは認識とは別のものかもしれません。そう言えば、私がアルゼンチンタンゴを聴いたのは7〜8歳の頃ではなかったかと思います。その後、ピアソラと言う新しいタンゴの提唱者が現れますが、私の心に懐かしく思い出されるのは昔ながらのタンゴです。
音楽に関して特筆するとすれば、父が音感に優れていたことでしょう。私の子供の頃、父はよくハーモニカで「月の砂漠」「早春賦」「荒城の月」などを吹いてくれました。即興で同時に伴奏を入れ、私はこの父のハーモニカが大好きでした。オルガンが流行り、私はオルガンを習う事になりオルガンを買ってもらいました。私が練習していると、父が横で楽譜も無しに弾き始め、それが心に響くうまさなので、練習をやめて聴いていたものです。
話は変わりますが、私は子供が誕生してから子供達に何かしら自分だけの表現手段を持たせたいと思っていました。長女は4歳から音楽教室に通い出しましたが、最初はピアノが無く、紙鍵盤で熱心に練習していました。私は無口な長女が、弾く事で心の内を発散できるかもしれないと思いました。
ピアノを買ってあげると、長女は気に入ったのか、休みともなると一日中弾いていました。最初はバスティンの教材で音楽の楽しさを学んだようです。短い曲でしたので何曲も仕上げて先生に聴いて頂いていました。私はこの頃から長女に付き添い、私自身がピアノの耳学問を始めたように思います。
長女はどんどん上達しました。私はつきっきりで娘の練習に付き合い、ピアノを聴く事になりました。それだけではなく、いろいろな楽器の演奏者やオーケストラにも足を運びました。そして、様々な音楽に触れ、心が洗われるような感動を度々経験しました。
でも、私はピアノを弾こうとは思いませんでした。小学生のトラウマで上手くないと分かっていたからです。しかし始めてみると意外にも続けられるものです。そうは言いましても、楽譜を広げて右手の練習、次に左手の練習、そして両手を合わせるのですが、一日30分の練習がとても長く感じられる時があります。上手く弾けない時は辞めたいと何度も思いました。
そのような時、娘が「上手くならなくて良いのよ。楽しめば。」と励ましてくれました。休む事だって出来ます。そう、楽しめば良いのね、となんだかホッと致しました。
このようにおぼつかない私の手習いですが、初めて良かったと今は思っています。たまに家族に誉められると、続ける元気を貰えます。苦手と思っていた事でも挑戦してみると、案外良いものです。思い切ってあなたも何かを始めてみませんか?
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