今年は二十四節気(にじゅうしせっき)に注目して書きたいと思っています。
そもそも、二十四節気とは何かと申しますと、中国の戦国時代に発明されたもので、太陽の日長変化、地球に届く太陽の光量の変化にかかわる暦です。春・夏・秋・冬を6つに分け二十四とし、それぞれの季節にふさわしい名前をつけたものです。
春は立春から始まる二十四節気ですが、「雨水」(うすい)は「立春」の次の節気で今月18日です。
「雨水」とは、雪が雨に変わって降り注ぎ、積もった雪や氷を溶かす、と言うような意味です。実際はまだまだ厳しい寒さが残りそのように行きませんが、雨も温かく感じられるようになる雪解けの季節という事なのでしょう。農業が中心だった昔は、農耕の始まる目安とされました。
この時期、季節は三寒四温、寒い日が続くと思っていると急に暖かくなり落ち着きません。
体調もこの変化について行けず狂いやすくなります。風邪やインフルエンザ、昨今はコロナにも気をつけなければなりません。私は外出時、マスクをつける、こまめに手洗いをする、外出先から戻ったらうがいをするようにしています。また、人の集まるところへの外出は、できるだけ遠慮するようにしています。さて、「立春」から「春分」までで最初に吹く強風を「春一番」と言いますが、春一番の声が聞こえるのもこの頃です。
ところで「雨水」に雛人形(ひな人形)を飾ると良縁に恵まれると言われています。
雛祭りはもともと水に関係する行事でした。人形に厄を移して水に流し厄落としをしていた事と関係があるので、水が豊かになる「雨水」に雛人形を出すと良いとされるのです。
「雨水」の頃には梅が見頃を迎えます。お抹茶の先生に「梅は花の姉」と言い、「桃は花の妹」と言う、と習いました。ここでの「花」とは「桜」の事です。でも、平安時代には「花」と言えば「梅」の事でした。梅は品格にあふれた花です。香りも上品で気品があります。梅林の名所は全国各地にあります。東京ですと、「浜離宮恩賜庭園」「六義園」がすぐに思い浮かびます。少し前の事ですが、京都で見た北野天満宮の梅林も素晴らしいものでした。京都と言えば、無実の罪で太宰府に左遷された菅原道真公にゆかりのある九州太宰府天満宮の紅梅・白梅も見事です。
さて、二月の別名を「如月」(きさらぎ)と申します。
このきさらぎは「衣更着」とも書き、その訳はまだまだ寒いので着物を重ねて着る、というところからの言葉だそうですが、諸説あります。またこの月を「令月」(れいげつ)とも言います。万葉集に「初春の令月にして気淑(よ)く 風和らぎ」という歌があり、元号の「令和」はこの歌に由来しています。
余談ですが、「如月」で思い出す和歌と言えば、平安時代末期から鎌倉時代にかけて歌人として活躍した西行法師の句があります。
その西行法師が晩年に詠んだと言う
「願わくは 花の下にて春死なん その如月の 望月のころ」
私はこの辞世の句が好きです。
この歌には新古今和歌集に最多の94首の歌を載せた天才歌人でありながら、何事にも執着せず行雲流水のように放浪に生きた西行法師の最後の望みが託されている、とわかっているからです。如月の望月の頃とは旧暦の2月15日の事で、お釈迦様が入滅された日だそうです。また、西行法師は願い通り、その頃に旅立たれたそうです。
この如月を過ぎると弥生3月がやってきます。
三月の二十四節気の「啓蟄」(けいちつ)とは土の中に閉じこもっていた虫(蟄)が穴を開いて(啓いて)動き出す日とされています。春の息吹を感じ、人が働くぞと元気を出す頃、とでも言うのでしょうか。この時期店頭に並ぶ、ふきのとうや蕨(わらび)、ゼンマイなど苦味のある山菜を食卓に並べて、大地の力を頂きたいものです。
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