『メアリー ポピンズ』と言うと、『不思議の国のアリス』や『ホビットの冒険』などと同じように昔から愛されてきたイギリスのファンタジー小説のひとつです。
「メアリー ポピンズ」シリーズは翻訳してあるもので4冊あります。『風に乗ってきたメアリーポピンズ』、『帰ってきたメアリーポピンズ』、『扉をあけるメアリーポピンズ』、『公園のメアリーポピンズ』。どの本も何度読んでも楽しく面白いものです。
私は童話や児童文学を子供に読ませるだけでなく、自分も一緒に読んで楽しんで来ました。以前ご紹介しました『アルケミスト』も分類としては児童文学です。でも、そのような分け方が読み手に必要なのだろうかと思う事があります。なぜなら往々にして私は子供向けとされる本に勇気をもらったり、感動したり、人生を考えさせられたりするからです。
人は選び抜かれたシンプルな言葉の中にこそ、必要とする感情や考え方を読み取るのではないかと思う事があります。同じ本を何度も飽きもせず繰り返して読む、と言うことはその本に本質的な魅力があるということだと思うのです。
なぜ『メアリーポピンズ』なのでしょうか。イギリスでは「メアリーポピンズを求む」と新聞に掲載されればすぐにナースを求めていると言う意味がわかるほど、周知されている名前だそうです。
私はなぜこの本にこだわったのでしょうか。この物語は、概ね桜町17番地にあるバンクス家にナースとしてやって来たメアリーポピンズと長女ジェインと長男マイケルのかかわりを中心に描かれるユニークな内容です。ユニークと申しましたが、その言葉では言い表せない不思議さや驚きがそれぞれのストーリーにあり、随所に含蓄のある言葉が散りばめてあります。
メアリーポピンズは最後に去る前に「私のいったこと、みんな、覚えておいてね。」と言う言葉をジェインとマイケルに残します。
本の面白さに引き込まれて楽しさだけに注力しているとその答えは得られません。
あるときはたとえ話の中にその忘れてはいけない内容が盛り込まれていますし、ジェインとマイケルに投げかけた言葉にヒントがあったりするのです。
私はパズルを解くような気持ちで何度も読み返すのです。
人はそれぞれにおとぎ話を持っている、と言います。私が大切にしてきたはずの私だけのおとぎ話とは何なのか、と考えてみます。大人として生きている今だからこそ持っていたいとも思う、それぞれの人に必要なおとぎ話です。現代は情報というモンスターに押し流されて人間本来の「夢」や「希望」をなくしていると言います。現実的にやり方、方法、つまりHOW TOものが横行し、そこで語られる著者の術は、読者の生きる術の参考になるかもしれません。
でも心の栄養は足りていますか。その心の栄養の一つにおとぎ話があると私は思っています。
本箱の下に埋もれている本の中に、あなたらしさを取り戻すおとぎ話が眠っているかも知れません。大人のあなたにこそ必要な、良いおとぎ話との出会いを願っています。
ESPOIR 〜希望〜をもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。