亡くなった母は、「人は死ぬまで勉強」と常々言い、小学生の私に自分の好きな万葉集の和歌を覚えさせました。誦(そらん)じていえる和歌の中で一番記憶に残っているのは、額田王(ぬかたのおおきみ)と大海人皇子(おおあまのおうじ)が交わした歌で「あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」と反歌「紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻故に 我れ恋ひめやも」で、母が一番好きだった歌です。
今にして思えば、「真面目」を絵に描いたような母が、なぜ子供にこんな歌(額田王の恋の駆け引きを想起させます)を覚えさせたのだろうと不思議ですが、小学生の私にはそのような恋の歌とはわかりません。ただ語調の美しさに惹かれて、いつの間にか私も口づさむようになりました。実際、高校の教科書でこの和歌を見た時には心がときめきました。
母は本が好きな人でした。私にも特に本は惜しげもなく買ってくれました。そのせいか、私は少々頭でっかちの子供に育ったように思います。受験で忙しい時にも古典と言われるものを隠れるようにして読みました。禁止されていた母の本(婦人公論など)も留守を狙って、ワクワクした気持ちで読んだ事を思い出します。
年代と共に本の選び方も変わっていきました。私の大学時代は再び学生運動の激しい時で、政治や経済にも目を向けざるを得ない状況でした。当然、刺激を受けてサルトルの書いた実存主義の本や埴谷雄高など、又女性作家ではボーヴォワールなど、また世情を伝える朝日ジャーナルなどの週刊誌も熱心に読み、当時の大多数の学生がそうであったように日本の現状や行く末を真剣に考えた事でした。
本は借りるものではなく買うものだ、と考えていましたので、どんどん本が増えました。55歳の時に意を決して本を整理した際、結局1600冊程を処分しました。
その後、本を処分した事から考え方が変わり、図書館で借りて読むようにしました。
10年ほど前から、急に本が嫌いになりました。私は本来活字が好きで、特に翻訳ものを多く読んでいました。ところが、この活字を見るのが嫌になったのです。これは自分でも思いもかけない事でした。原因は未だはっきりしませんが、この頃予想もしない事が次々に起こり、フィクションは所詮作り物だと、のんびり活字を楽しむ事さえ出来なくなったのでしょう。しかし例外が一冊だけあります。
パウロ・コエーリョ著の「アルケミスト」です。何十回読んでも新たな発見をするのです。活字を嫌っている時でさえ、何となく広げてしまうのです。落ち込んだ時にも言葉を拾うようにして読みました。
文庫本にカバーをかけているのですが、もう中の本はボロボロです。
年代を超えて何がこんなに惹きつけられるのでしょう。私に「希望」や「勇気」を抱かせてくれるからでしょうか。
この本は児童書として紹介されていますが、私には人生の書に思えます。まだまだご紹介したい本があります。
本に関してはこれからも書いていきたいと思っています。
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