春の陽気は時として日頃の疲れだけではなく、思わぬ病気を引き出してしまうようです。
「ママ、身体の声をもっと聞いてよ。」と、私は娘達によく言われます。
私は仕事も家事もとにかくやらなければならないと思った事は、無理をしてもやり遂げないと気がすまない性格です。その結果、疲れるだけでなくストレスも一緒に溜め込んでしまうようです。そしてその解消が上手だとは言えません。
それだけの理由だとは思いませんが、48歳で胃癌の手術を受けました。この時も「今回は何だか今までの症状とは違う。」と言って受診を強く勧めたのは長女でした。そのお陰で早期の癌発見になりました。
「身体の声を聞く」は私にとってブレーキの言葉であり、娘たちの思いやりのメッセージです。でも、なかなか私の性格には難しい言葉です。「身体と心のバランス」が大切と思いながら、いつもやらなければならない事に執着して、身体の状態を無視してしまうのです。
45歳の時にリウマチを患っている事が分かり、病院とのご縁ができました。母もリウマチを患っていましたので、ある程度の対処法はわかっていました。
一昔前はこれと言った特効薬もなく、子供の頃からいつもサロンパスを身体の節々に貼り、鎮痛剤で痛みを紛らわせていた母の姿を見ていました。その母から「病と共に暮らす」事を学んでいました。
50代の数年は病気を抱えていながらも、本当に無理をしなければなリませんでした。リウマチの痛みを押してでも働かなければならなかったのです。その結果、仕事を辞めてからの数年は、ほとんど横になっている状態でした。実は仕事を辞した時期と同じくらいに母が他界しました。そのストレスも重なっていたのでしょう。心まで病んでしまったのか、とうとう言葉まで思うように出なくなってしまいました。
今にして思えば、心療内科を受診していれば、もう少し早く治っていたのかも知れません。とにかく頭に浮かぶ言葉と、口から出る言葉の不一致に困りました。考えている事が言葉にならないのですから、人との会話が苦手になり、どんどん人から離れて行きました。そして、眠り病に罹ったみたいに食事を頂く以外は眠っていました。
ある時、眠りから覚めたらと言うとおかしな表現ですが、ふと身体が軽くなったような気がしました。それからは、私なりに言葉を取り戻すために何か方法は無いかと考えました。脳を刺激した方がいいと考え、大量の本を読み、小説を数本書きました。それが功を奏したのかどうか分かりませんが、とにかく無くした言葉が私の中に少しづつ戻ってきたように感じました。段々にではありましたが、考えている内容をすぐに言葉にする事ができるようになったのです。病気だと気付いて治るまでに約7年かかりました。
リウマチは、まだ私と共にあります。でも母の時代と違い、今は抗リウマチ薬も様々に開発されています。医師には早期発見であれば、寛解も夢ではないと聞きました。
今の私は一年中身体を冷やさないように、ほとんどパンツスタイルで過ごしています。また、お水やお白湯をよく飲むようにしています。「一病息災」と言いますが、やはりリウマチがあるために、また手術をした為に、以前よりは身体に気を付けるようになった気が致します。
さて、あなたはご自身の身体の声を聞かれていますか。何事も丈夫な身体あっての事だと痛感している私です。
ESPOIR 〜希望〜をもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。
コメントを投稿するにはログインしてください。