長女は先にお話ししましたように、早生まれの為か口数が少なく全てにおいて奥手なところがありました。でも、お手伝いが大好きで進んで家事の手伝いをしてくれました。少し前になりますが、1年生の時、アイロンをかけていて、誤って太ももにアイロンを落とし火傷をしてしまいました。私はとっさに「暮しの手帖」に書いてあった「火傷をしたらすぐに水で冷やす」と言う一文を思い出し、泣き叫ぶ長女を抱えてお風呂場に駆け込み娘の脚に水をジャージャー流して冷やしました。もうこれでもかと思われる時間、ひたすら冷やし続けました。当時残っていた少し焦げたような痕は数年で消えました。
普通の火傷は流水で赤みが無くなるまで冷やすと治ります。
4年生の時の長女の担任は社会経験をした上で教師になった方でした。きっと教師と言う職に理想と誇りを持った方だったと思います。おにぎりだけの遠足、昔の人と同じように草鞋(わらじ)を編んでみるなど、生徒の自主性を重んじながら特別の経験をさせて頂いたようです。その頃からだと思いますが、しっかりした発言をするようになりました。思っている事をきちんと伝える事が出来るようになってきたのです。また、夕飯が済むとさっさと子供部屋に戻り、勉強を始めるようになりました。自発性が出てきたのです。お手伝いだけでなく、妹の面倒もよく見ていました。
子供の心は真っ白いキャンバスです。出会う人によって成長もすれば、萎縮したり傷ついたりします。
社会は凸凹の様々な人の集まりです。小学校に行くという事は社会への第一歩です。そこで出会う先生は子供にとって特別だと思います。聖人を求めはしませんが、公平さを期する普通の感覚を持った大人であって欲しいと子供達の担任を観察しながら思いました。
では、親は子供に対してどうでなければならないのでしょうか?
私はまず正直でありたいと思っていました。正直な大人として接したいと思っていました。また、親は子供より先を歩いている人としての先輩でもあるのですから、生きていく上で大切と思われる事や伝えておきたい事は、お茶の時間にそれとなく話しました。長女の場合は、何に対しても我慢強い子供でしたので、時には相手にぶつかる事も大事だと教えました。私がお茶の時間に子供達に活発に言いたい事を言わせたのにはもう一つ目的がありました。ディベートの出来る人になって欲しいと思っていたのです。社会はどんどん変化します。色んな議題で論議を重ねる事もあるでしょう。まず自分の考えがある事が前提ですが、きちんと考えの言える人になって欲しいと思っていました。それは次女に対しても同じ考えでした。
後から聞いた話ですが、次女は時々忘れ物をしたそうです。そんな時は姉の教室に行って「お姉ちゃまリコーダー忘れた。持ってる?」と言って準備怠りない姉に相談したそうです。おしゃまな可愛い妹を、長女はある時は母親の代わりのような気持ちで接していたように思います。
子供達の話はまだ続きます。
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