小学生になった子供達はバレエ、ピアノ、お習字、水泳と習い事が多く、いつも手を繋いで出かけて行く二人の姿が印象的でした。背が高い姉に比べて年齢の割に小さい妹を長女は可愛く思い、次女はその姉を慕っていたようです。些細なことでケンカもしていましたが、いつの間にか上手に仲直りをしていました。私は二人の様子を気にかけてはいましたが、二人の間にあまり入らないようにしていました。いつの日か私が去った後、娘たち二人がお互いを思い合う為には何事も二人で解決し、むやみに親が介入しない方が良いと考えたからです。そのせいでしょう。大人になった今も二人だけに通じる思い出が沢山あるようです。
子供は、生来生まれ持ってきたものがそれぞれに違うのだと思います。共に暮らし成長して行く中で身につけて行くものもありますが、芯の部分でその性質は変わらないように思います。長女の思慮深さや次女の明るさは子供の時から今も変わりません。しかし、思慮深さは考えすぎに繋がり、暗くなりがちです。生来の明るさは、ひょっとすると大切な何かを取りこぼしているかもしれません。長女は次女の明るさに救われたでしょうし、次女は長女の洞察力に助けられているのではないのでしょうか。
何事に於いても完璧はないのだと思います。姉妹であっても、お互いを理解し、違いを認識し、認めた上での思いやりがその解決を図るのだと思います。
以前にも書きましたが、子育てに一番必要な事は、言葉を理解できない間はスキンシップがとても大切だと言う事です。抱きしめてあげて下さい。子供に安心と安らぎを伝える事ができます。そして、子供のいる幸せを、皮膚感覚を通して母親も享受して下さい。
言葉が話せるようになったら、親が正しい言葉使いをして下さい。子供は真似の天才です。「子供は親の後ろ姿を見て育つ」と言われますが、それは本当です。その事を肝に銘じて私は、私も子供に成長させられると思い、私自身がブレない生き方をしようと努めました。その事を気づかせて下さったのが、煎茶道の宗匠です。「中心にいるものはお臍(へそ)の辺りが痒くても我慢せんとなりません。」とおっしゃっていました。なぜなら中心が動くと、周りが右往左往するからです。小さい子供にとって母親は心の拠り所です。落ち着きのある子供は心が安定しています。
イメージですが、親は大きな雲になって子供をふわりと包んであげる、そんな事を思っていました。
子供一人一人は違いますので一括りに言えませんが、その時々に必要な事を察知して褒めるなり注意するなりしたら良いと思うのです。その為には子供達をいつも目の端に入れておかねばなりません。
私は二人の娘をあまり叱った事がありません。命に関わる危険を察知した時とか、嘘をつくなど今後の生き方に関係すると思われる時だけ、諭すように話しました。
それには訳があります。私は長女で育ち、母の関心を一身に集め、全て管理されて育ちました。まわりは大人の目線で囲まれていましたので、叱られた記憶が多く残りました。小学生になると、友達は母が選んだ4人だけです。でも、友達の家に遊びに行った経験はお誕生日以外ありません。学校から帰って外に出るのは、お稽古事の時だけです。それも少しでも遅く帰ると叱られました。ひとりぼっちの寂しい小学生でした。でも、こんなものだと子供の頃は思っていたのです。
子供と楽しく暮らそうと思いました。何でも受け入れてあげようと思いました。たとえ大きくなって不良になっても抱き締めてあげよう、と赤ちゃんの時から思っていました。子供は神様から頂いた大切なご縁なのです。
幸いにも、子供達は不良にもならずそれぞれの個性を活かしながら成長しました。
繰り返すようですが、一番大切な事はスキンシップです。
私なりの子育てを乳児から12歳くらいまで話させて頂きました。何かお役に立つ事があれば幸いです。
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