最近、空を見上げた事はありますか?
タイトルの「ゆきあいの空」とは、夏が終わり秋へと季節が移り変わろうとするその頃の空の様子を表した言葉です。詳しく申しますと、夏の入道雲と秋独特の空を掃いたようなすじ雲あるいはウロコ雲が混在して空に現れ、まるで夏と秋が行き交っているようなそんな空の状態を言います。この言葉は俳句の季語にもなっています。
私はお昼を頂く時、リビングのカーテンを全部開ける事にしています。テーブルに座り、外の光で明るくなった室内から窓辺に目をやると、窓の外には夏の熱い太陽に酷使され続け疲れきった葉っぱのハーブのプランターや花鉢が並んでいます。水やりは今日も休めない、少し剪定もしなきゃと思いながらその上に広がる空を見上げます。そして、青空を眺めながらゆっくり頂くご飯は、穏やかな気持ちになり、ありがたいと思います。空は晴れている日ばかりではありません。雲の多い日は、流れる様子を観察します。観察とは大袈裟でボーっと雲の動きを目で追いかけます。
ある日、ビルの屋上や家屋の屋根の上に夏しか見かけないはずの白い入道雲が立ち上がっているのを見つけ、窓際まで行って天上は秋の雲なのにと思い、そうだ確かこのような空を「ゆきあいの空」と言うのだったと思った事でした。
空と言えば、中秋の名月は見事でしたね。黄みを帯びた輝く月は眩し過ぎて、思わず手を合わせてしまいました。人は昔からこのような自然の力に癒されてきたのだと、深く感動致しました。月の光には浄化の力があると聞いたことがあります。あまりに光が強いと、心の中心を射抜かれると感じる事があります。耳をすませば、コオロギの鳴く声が聞こえます。そう言えば、いつの頃か蝉の声は無くなっていました。これからどんどん秋の虫の声が大きくなり、金木犀の良い香りがどこからともなく漂って来て、益々本格的な秋の到来を感じるのでしょう。
私が学んだ煎茶道に「盛り物」と言うのがあります。
自然の実りに感謝して、その季節に収穫された野菜や果物などをお盆やミノなど自然素材の上に形よく盛り付け、床の間や玄関の上などに飾ります。海岸でちょうど良い流木を探せたら、その上に盛り付けても素敵です。これからの季節ですと、盛る物にも事欠きません。盛り方の基本は盛る物を不等辺三角形に置くと言う事です。
例えば果物で考えて見ます。庭の柿の木に実がつき、葉付きで2〜3個もいだ。そこへお隣からブドウ狩りに行ったからと取り立てのブドウを頂いた。そう言えばまだ小ぶりで緑のイガがついた栗の木が庭にあったと致します。私は葉形のお盆を取り出して、お盆の中の右上に葉を整えた柿とブドウで少し大きな塊にして置きます。お盆の中心より少し右にずらした手前にイガ付きの栗を置きます。左のお盆が細くなっている方にイガから取った栗を2個ほど置きます。手に入れば、稲穂や烏瓜など長さやツルを使って盛り物に動きを作ることも出来ます。「盛り物」は楽しいですし、自然がより近くに感じられます。
上記はほんの参考例で、要は自然への感謝の気持ちですから、とらわれずにご自分の色彩感覚とセンスで乗せる台を選び、「盛り物」を自由にお楽しみになると良いと思います。
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