一体何のことかとタイトルを読まれたあなたは思われた事でしょう。
これは、中学一年の秋の夜、私が家の外で見上げた星の広がる遠くの宇宙に向かって叫んだ言葉です。「私はこの地球と言う大地に一人で立っている〜」と。
当時の私は祖母と母の確執、母の過保護などでストレスの塊のようでした。
幼児の頃には見えなかったものが、小学生にもなると見えてきます。見えると言うより感じると言う方が近いでしょう。真面目でどちらかと言うと融通の効かない母と母から見たら破天荒とも言える世間慣れした祖母は見えない火花を絶えず散らしていました。
私は祖母の意向で子供の頃から髪を長くしていました。二人はかわるがわるおさげや編み込みに髪を結ってくれるのですが、その時の場の空気が異様で、二人とも口を効かないのですが、バチバチと音を立てているように感じました。
母は教育熱心で、私が小学生になると毎日時間割を見て教室の外に立ち、先生の教え方を見にくるのです。「お母さんが来てるよ。」と友達に言われる度に恥ずかしいようなバツが悪い気持ちになりました。そのような人は私の母だけだったからです。夕食後には毎日「持ってきなさい。」と言われ、ランドセルを背負って座卓の前に座ると宿題とは別に母手作りの練習帳がありました。そして、間違いがゼロになるまで勉強をさせられました。見かねた祖母が「まだ小さいんだから、もう休ませたら」と言うと、父が「教育に関しては口を出さないように」と祖父母に釘を刺していて、それを覚えている祖父が「よせ」と言うような仕草をしていました。母は私のする事には全て口を出さずにはいられないようで、段々と窮屈に感じるようになりました。私は小学校との往復以外友達とも遊ぶ事を禁じられていました。母が認めた4人の友であっても、私が遊びに行くのは好まないようで「遊びに行きたい。」とは言い出せませんでした。私は成績は良かったのですが、友達の人気はありませんでした。
遊びにも行かないのですから、一人になる時間は多分にありました。和室の床間に掛けてある観音様の描かれた掛け軸をよく眺めました。本はよく読みました。小学生でも高学年になると婦人公論や旧字体で書かれた文学書など両親の本箱から勝手に持ち出して読みました。私は口数が少ない子供だと思われていました。無駄口を利かないからです。いつも何かしら考える子供時代だったと思います。
中学生になった時の事です。私は誰にも話せない思いを日記帳に書いていました。日記帳には「ゆきこ」と言う名前をつけて大事にしていました。その日記帳は鍵付きでしたが、ある日学校から戻ると、その鍵が壊されていました。翌日母から「○○君が好きなの!」となじられました。その事は日記にだけ記した秘密でしたから、母が勝手に鍵を壊し私の心まで踏み込んできたのだと思いました。1週間、母と口を聞きませんでした。当時、何度も家出を考えました。でも、籠の中の鳥のように隔離されていた私は、まずどこに行ったらいいのかわかりませんでした。
そのように鬱屈(うっくつ)した感情の吹き溜まりを抱えた私の心は爆発しそうでした。ある夜ひとりで庭に出て暗い山影の上を見上げると、たくさんの星が瞬いていました。その向こうにどこまでも果てしない宇宙が広がっていると思いました。引き込まれそうな果てしない闇です。私は心から自分を愛おしく思いました。ちっぽけな自分だってこの地球から宇宙を見ていると思いました。その時、何かしら叫ばずにはいられなくなりました。思わず口を突いて出たのが先の言葉です。
高校生になると、私は激しく母に反抗しました。心の中に母を許せない気持ちが、母のどのような言動にも起こって制御できませんでした。大人になり、母から離れ、母を人として客観的にみることができるようになり、やっと母から卒業しました。
あの時の情景や自分の心の有り様は今でも忘れてはいません。あれは私が自分を認める事が出来るようになった出発点だったと思っています。
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