私は和風も洋風も甘いスイーツが好きです。わざわざ「甘い」と書いたのには訳があります。
思い出すのは、子供の頃母が手作りの飴やホットケーキを焼いてくれた事です。これは特別な日のおやつだったようです。実家は本家に当たりましたので人が集まることが多く、頂き物が多かったように思います。頂き物と言えば、煎餅、最中、カステラなどの和菓子を思い出します。当時、クリスマスや誕生日のケーキはまだバターケーキが主流でした。普段のおやつは夏にはアイスクリーム、他には菓子パン、蒸したお芋などがありました。柿、みかん、梨、桃、びわ、山桃、ぐみ、イチジクなどの果物というときもありました。自宅の裏山や畑の周りには、もげばすぐ食べられる果物の木が沢山植えられていたのです。
でも私は甘いものが大の苦手で食の細い子供でした。バターケーキは甘すぎてとても食べられません。いくら果物が豊富でも、自分でもいでまで食べようとは思いませんでした。でも、好きなスイーツがいくつかありました。父がお土産に買ってきてくれたマカロンもそのひとつです。紙袋に入った焼き菓子のようなもので、私は大好きでした。ただし、このマカロンは素朴で現在人気のマカロンとはおよそ違います。パリにしばらく留学していた娘がラデュレのマカロンをお土産に買って来た時はその繊細な美味しさに驚きましたが、父のお土産もマカロンと言っていた事を思い出して戸惑ってしまいました。他には祖父が町に出た時、芋飴を買って来てくれました。素朴な甘さでわりと好きでした。
我が家は母が厳しくて、買い食いは許されませんでした。たまに学校の帰り、友達と駄菓子屋に付き合う事はあっても、私は見るだけです。駄菓子屋には飴やお煎餅の類、店頭にはニッキ棒と言ってストローのようなものの中に白いお菓子が詰まっているものや水飴を着色したものがありました。一度だけ貰って食べましたが、母にすぐに見破られて酷く叱られました。何が入っているかわからないと言うのです。その時の味がどうだったかは忘れてしまいました。
母は何でも手作りする人でした。母の作った羊羹や飴は美味しかったと覚えています。でもしょっちゅう作ってくれる訳ではありません。回数が少ないから忘れられないのでしょう。私が好きだったものの一つは、炒めご飯を作った後に鉄鍋に張り付いたおこげを剥がしたものです。お煎餅みたいで、最後まで根気よく剥がし小さいカケラまで食べたものです。
私が子供を育てる頃もやはり本家である事から頂き物が多く、子供たちがお菓子を買うのは遠足の時くらいでした。お店に行っても何を買ったら良いのか分からないと困っていました。覚えているのはCMで流れていたポッキーとかキットカット、袋入りのカールなどです。ホットケーキは度々焼きました。子供達は頂き物の上等のクッキーなどは喜ばず、私が数回しか作らなかったスコーンやホットケーキの味を大人になっても覚えていて、「美味しかった。」と言います。私の母が作ってくれた飴の思い出と同じです。子供の誕生日には誕生ケーキで祝う習慣でした。その頃には市販のケーキの主流はバターから生クリームのケーキに変わっていました。
そう言えば、あんなに甘いものが食べられなかった私がいつの間にか口中も年を重ね、甘いものに目がなくなりました。
特に頭を使って疲れた時、甘いものは欠かせません。しかし、昨今のケーキや洋菓子は甘さ控えめが多いようです。
やっと食べられるようになったと言うのに口に入れた途端「これ何?もういらないわ。」となる事が多いのです。
甘味は甘いと言う文字が入っています。やはり甘くて当たり前だと思うのです。その点和菓子は適度に甘く煎茶や番茶・ほうじ茶と合い美味しいと思います。子供の頃には食べられなかった最中やカステラも大好きです。あまり美味しくないカステラにはジャムやメープルシロップをかけると、途端に上等の甘味に変わります。
最近はイオンで冷凍のフランスメイドの「エクレア」が私の中でヒットしています。中はカスタードクリームではなく、チョコレートクリームが入っています。冷蔵庫で解凍すればすぐに食べられます。そう言えば、ベルギー、フランス、イタリア、トルコのお菓子(クッキーやチョコレート菓子)は甘さを感じさせてくれます。そして、どのお菓子もお紅茶やコーヒーをより美味しくしてくれます。甘いものは沢山食べなければ太りもしません。
甘いものは心まで満たしてくれるのだと思います。
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