病気になった時の気持ち

病院での検査です

私は今までに大きな手術を2度しています。

40代で胃癌を、2、3年前には股関節の手術をしました。また、50代でリウマチと診断され通院していますので、今も病気は常に身近にあります。

リウマチの病気の出方には様々なケースがあります。

実は母もリウマチで、亡くなるまで薬で痛みを抑えていました。母は産後一気に全身にリウマチの症状が出たそうです。子供の頃の母は、いつも手首にサロンパスを貼り、暗い浮かぬ顔をしていました。躾に厳しい母でしたので、怖い印象ばかりが強く残っています。たまに母が明るく歌などを口ずさんでいると、かえって子供の私はどう対処したらいいのかわからなくなりました。リウマチで母が左肘関節の手術をしたのは、私が高校生の時です。人工関節に替える手術です。しかし手術がうまくいかず、左肘を曲げる事が出来なくなりました。お茶漬けが食べられないのが残念だ、とよくこぼしていました。母はリウマチと言う病気を抱えていましたが、頑張る人でした。祖母にもよく尽くしていました。多分母が50代を迎えた頃かと思いますが、いきなり俳句を始めると言い出しました。母は私に「もう狂いそう。やりきれない。」とこぼしました。恐らくリウマチだけではなく様々なストレスを一人で抱えて、発散する場所を探していたのだと思います。週に一日出かけるだけでしたが、その後随分明るくなったように見えました。

私のリウマチもストレスが大きく関係していると思います。でも、発病したのは50代、大学病院で眼科を受診した時、リウマチから来たシェーングレン症候群のドライアイではないのかと言われリウマチ内科を紹介して頂きました。仕事でかなり無理をしていましたし、すでに足の関節に痛みがありました。

リウマチと分かっても、私はかなり楽観的でした。それは、病気を知っていたからです。私が発病した時、母に「病気と共にこれから生きると思いなさい。」と言われました。病気を受け入れるのです。その母の言葉に私は何となく安心しました。痛みがあっても心が大丈夫なら何とか乗り越えられます。まして、母の時代と違い今はリウマチも周知され、研究が進んでいます。しかし、私の病気は少しずつ進んでいきました。最新の薬剤でも限界で、今は新しい治療薬を月に一度点滴しています。数年前いよいよ歩けなくなりました。母がもっとも恐れていた股関節がダメになったのです。主治医の勧めで、すぐに手術をしました。30センチも切開した昔と違い、切ったのはほんの10センチほどでした。立ち上がったのは手術の翌日です。今は杖も持たずに歩いています。歩けるのは有り難いことです。今は普段意識していなかったような黙って動いてくれている私の身体の全てに感謝しています。

40代で胃癌を患った時は、とにかく治らなければと思いました。子供達には私がまだ必要だと分かっていたからです。やはり手術になりました。この時は病室に楽しいムードメーカーの方がいらして救われました。病室は笑いが絶えなかったのです。長女が毎日見舞いに来てくれました。しかし、退院後の一時期は、痩せて全く元気が出ませんでした。自宅に戻ってからは、母が熱心に看病してくれました。そのお陰でみるみる元気になりました。病気は自分一人のものではないと実感しました。家族も背負ってくれているのです。

限りある命です。リウマチはありますが「一病息災」とも言います。身体の調子が悪い時は無理をせず横になります。心を丈夫に持って、身体の声を聞き、バランスをとりながらこれからも生きていきたいと思っています。

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