通りを歩いていて、男の方とすれ違ったあと、後ろを振り返る事があります。香りです。以前にも香りについて書きましたが、香りは男女共にその人を何倍も素敵に魅せる魔術のようなところがあります。すれ違った際にお顔をみていたわけではありませんので、どんな方だったのかしらと想像も膨らみます。
最近は男性も香りの効用を知ったのか、上手に香りを使いこなしている方が増えてきているいるように思います。確かに、汗の臭いより爽やかなコロンに軍配が上がるのは当然でしょう。
オーデコロンはまだまだとしても、リップクリームやハンドクリームを電車の中で塗っている男性は若い人だけではなく、多くなりました。
ポーチからリップクリームを出して唇に塗り始めた男性を最初にみた時は、私も驚きました。そう言う時代に育っていなかったからです。でも、男性も人間ですから、唇が乾燥したり、年を重ねていくのは女性と同じです。
私は父のポマードの匂いが好きでした。父はいつもズボンにキチッと折り目のついた背広を着て、よく磨かれた靴を履いて出勤していました。ですから今でも男性のスーツ姿には憧れのようなものがあります。
そう言えば、お洒落な男の人でまず思い出すのは、母方の祖父の事です。亡くなって随分経ちますが、長女が産まれた時、ひ孫の顔が見たいと我が家へやって来ました。
恐らく70代に入っていたと思いますが、その時のいでたちはエクリュ(生成り)色の麻のスーツにピンクのネクタイ、整えられた白髪の頭にはパナマ帽と言うものでした。
面白い祖父で、「今度、デートしよう。」と、まだ産後で身体の戻っていないぽっちゃりな私を誘うのです。なかなかルックスの良い祖父でしたが、頭の体操だと言って麻雀を好み、母は祖父の事を遊び人だと嘆いていました。祖父は戦時中満州で要職に着き、敗戦後帰国してからは国を憂いたのか、なかなか仕事に就く事を良しとしなかったそうで、家族は大変だったと聞きました。
お洒落で素敵な男性で思い出すのはなんと言ってもイタリアです。特にイタリアの空港で出会った60代と思われる男性のスーツ姿の粋な事と言ったらありません。大人の文化の根付いている国だからこそ、オシャレも一捻りも二捻りもあると言う事でしょう。そう思わせたのは、なんと言っても色づかいの上手さです。
本来的には、色彩の点で日本も負けてはいないと思います。日本独特の色がある事を忘れてはなりません。ただ、洋服はと言うと、日本に入って来たのが明治時代。元々洋服は外国から入ってきたのですから着こなしが難しいのが当然で、今の日本の男性は多少洋服に着られているように思います。欧米の男性とは骨格が違うのですから、よほど肉体を鍛え無い限り、ラフであればある程見すぼらしく見えるように思うのです。ポロシャツでもTシャツでも素敵に着こなしている人にはなかなか出会いません。でも、色使いに工夫を凝らして素敵に見せる事はできるのではないでしょうか。
江戸時代には粋な着物の柄や着方が考えられる程、男達は伊達をきどった、と本で読みました。そう言えば、香りだって平安時代からお香を着物に焚き染めるという独特の文化を持っていました。
最近はお洒落な男性を時々見かけます。ファッション雑誌をお手本にしているんだろうと思います。でも、もう一捻りできませんか?
しかし、どんなにお洒落をしても、結局は中身になるのだと思います。その人の生き方や願いや思いが、いずれは顔だけではなくその人の人となりとして、心身に現われると言う事実です。年齢と言う時間を使って。
もっともっと誇りを持って、考えも大人のお洒落な男性が増えていけば楽しいな、と思っています。
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