昔から禅に興味を持っていました。遡れば、女流文芸誌『青鞜』で「元始、女性は太陽であった」と唱えた平塚らいてう女史も「禅」に興味を持ち禅寺に通ったといいます。20代の頃、禅の大家である哲学者の鈴木大拙さんの著作に取り組んでみた事もありました。でも当時の私には上滑りにしか捉えられず、禅はとても難しく思えました。今にして思えば、禅を知識としてしか考えていなかったからだと思います。
茶道には深い「禅」との関わりがあります。茶室における世界観を始めとし、掛け軸には禅語をしたためたものが多く使われます。「一期一会」「日々是好日」「一座建立」「和顔愛語」などと言う言葉はお聞きになった事があると思います。しかし「禅が行動にある」と知ったのは最近のことです。
ここ数年、枡野俊明御住職の著書「美しく、心地よく、生きる」を愛読しています。昨年、禅寺「建功寺」で枡野ご住職とお会いし、そのお人柄に感銘を受け、わたしにとっての「禅」とは何だろうとあらためて考えています。
私にとっての「禅」とは一口で言えば、軽やかな生き方ではないのかと思うのです。
毎日の暮らし方に「禅」があるのだと考えています。まずは「自然な腹式呼吸」です。ご住職も呼吸の大切さを話されていました。私は朝起きて、カーテンを開け、窓を開けて「吐いて」「吸って」とゆっくり繰り返します。その後、神仏にご挨拶を致します。朝は静かに過ごしたいと思い、テレビはつけません。自分の心の時間に合わせるのです。
食事は軽く、「腹八分目に医者要らず」と申します。私は朝に果物とトマトジュースを頂きます。パンではなくプロテインを豆乳でシェイクして頂くようにしています。お昼は一汁三菜に倣ってしっかり作り、頂いています。でも、満腹にならないように心がけています。夜は野菜を多く使った麺料理です。水は一日1.5リットルくらい飲みます。食事の事を詳しく書きましたのは、このスタイルに変えて身体が楽に感じられるからです。
午前中は掃除、洗濯を済ませ、簡単な筋力体操を致します。早速ブログを書き始める時もありますが、日によっては散歩や買い物に出かけます。食事はほとんど手作りで、フードロスにならないよう残り野菜も工夫するようにしています。残り野菜の多くはスープの具材やお味噌汁に使います。
午後は食事の後にお昼寝をします。昔は仕事に明け暮れる毎日でした。ワークライフバランスがとれていなかったので、結局身体を壊してしまいました。ですから身体の声を聞くようにしています。お昼寝と言っても眠れない時もあります。そう言う時は、横になって読書です。身体を起こした後はブログを書き、30分だけピアノの練習をしています。長続きする時間はこの長さのようなのです。ピアノは考える力を低下させない為に始めました。
夕飯は家族揃って頂きます。その後テレビを観たり、入浴したり、日記を書き終えてその日の内に休むようにしています。
書き並べると簡単ですが、一つ一つに心を込める、となると結構時間もかかります。
私はこのような何でもない日々を楽しんでいます。「普通である」ことがどんなに大切か長く生きてきたからこそ分かるのです。
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