日本のソウルフードと言えば、「おにぎり」です。
子供にとって、お母さんが握ってくれた「おにぎり」は忘れられない格別の味です。大人の娘達でさえ、炊き立てのご飯を「おにぎり」にしてあげる、と言うとすごく喜びます。私の「おにぎり」は少しきつめの塩加減が特徴。娘達の嬉しそうな顔を見たいばかりにこれまで随分「おにぎり」を握ってきました。中身はその時々で違います。梅干し、鰹節にお醤油を垂らしたもの、鮭の身をほぐしたもの、塩昆布、あさりの佃煮、などなど。牛肉を甘辛く煮て使った事もあります。おにぎりは食べる直前に海苔を巻きます。
でも、私は子供の頃一度も「おにぎり」を食べた事がありません。遠足や運動会でのお昼を子供は一番楽しみにしますが、私のお弁当箱に詰められていたのは、巻き寿司やいなり寿司でした。母の手作りが嬉しくて、食が細かった私は残さないように頑張って食べた事を思い出します。
子供の頃は知らなかったのですが、当時から母はリウマチの痛みがひどく、手首に力が入らないので、「おにぎり」を握る事ができなかったらしいのです。母も「おにぎり」を握ってあげたかったのでしょう。私がねだったのかもしれませんが、母が「おにぎり」を作ってくれた事があります。おにぎりの型があり、それにご飯を詰めたものです。たった一度でしたから、私は余り喜ばなかったのではないでしょうか。
母は「巻き寿司」や「いなり寿司」を作るのがとても上手でした。
「巻き寿司」は玉子焼き、きゅうり、かんぴょうを煮たもの、名前は忘れましたがピンク色の甘みのあるもの(桜でんぶと言っていたように思います)、三つ葉などその時々で多少違いましたが、様々な材料を入れて簀巻きで巻いていました。「いなり寿司」は甘辛く煮た油揚げにご飯を詰めたものです。この油揚げの煮汁がご飯に染みて美味しく、母の作る「いなり寿司」は特に私の大好物でした。ご飯にすし酢を使わないのは父が酢を嫌ったからです。その「いなり寿司」は90歳を越した祖母のためにも、母は作りました。その頃はご飯に大葉を刻んだものやゴマがたっぷり入っていました。
ところで、私の結ぶ「おにぎり」は昔から変わりません。三角結びです。
指の関節をおにぎりの角度にして握ります。どちらかと言うと壊れない程度にふわっと握ります。たまに中身が分かるように俵型にすることもあります。お米の炊き加減に気をつけ、上質の海苔を使うようにしています。塩は対馬の「一の塩」を今は使っています。
子供は母親の手の温もりの残る「おにぎり」が好きです。一番のご馳走だと言います。私が「いなり寿司」を度々作りたくなるのは、子供の頃の母の味を懐かしむからだと思います。
私は「いなり寿司」のご飯を酢飯にします。でも最近はすし酢を市販のもので済ませています。母の「巻き寿司」や「いなり寿司」への手のかけ方からしたら、何ともお粗末なものです。
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