服装のマナー ①

着物姿の女性です。

私が子供の頃、明治生まれの亡くなった祖母は、夏のほんの一時期を除いてほとんど和装で過ごしていました。大正生まれだった亡くなった母は、寒くなると普段でも着物を着ていましたが、大体洋装でした。でも、大切な行事やお出かけは決まって和装でした。更に時代が変わって昭和生まれの私は、子供の頃から洋服です。でもお正月には着物を着ました。特に小学生の頃は祖母が頭を「ももわれ」と言う形に結い、アンサンブルと言って着物と羽織が同じ柄のものを着せられました。七歳には赤の地色に白の花鞠(はなまり)の柄で袖の長い着物を着た事を思い出します。

少し記憶をたぐっただけでも時代と共に大きく変わっていく服装の変遷があります。私は日本の文化であるお茶を習ったり教えたりしていましたので、その時には着物を着ていました。今、箪笥に仕舞っている着物で手を通さなかったものはほとんどありません。昨今は着物姿を見かけることが本当に少なくなりました。でも、浴衣は特別のようで、夏の花火大会などでは若い女性の浴衣姿を多く見かけます。それから観光地で貸衣装の着物姿で歩いている外国の方を見かけます。

さて、和装にはいくつかのマナーがあります。その事について書きたいと思います。

*まず、衣替えの時期です。

今ではゆるくなっているようですが、以前は徹底していました。

袷(あわせ)……10月から5月まで着用。着物に裏地がついている。

単(ひとえ)……6月と9月に着用。着物に裏地がついていない。

絽(ろ)  ……7月。縦糸と横糸を絡ませて透き目を作った織物。

紗(しゃ) ……8月。絽よりさらに織り目が粗くて薄い織物。

私は以前はどんなに暑くてもこの衣替えの習慣を重視していました。最近の様子を見ていますと、殊更にこだわらず、天候によって服装を選んでいる人が増え、柔軟になっているように思います。ただ、着物の絵柄に関しましては、季節感を取り入れて描かれていますので、その季節以外に着用すると、野暮に感じます。(例えば、春に紅葉柄を着たり、秋に桜柄を着たりというように。)

この衣替えの習慣は制服のある学生や官公庁では続いており、今でも6月(冬服から夏服へ)と10月(夏服から冬服へ)に変わるようです。

*次に、女性の着物の正装の基準を紹介します。

正装

 ミセスの場合 第一礼装は黒地もしくは色地に縮緬(ちりめん)に染め抜きの五つ紋とされます。例えば結婚式など、招く側は黒留袖、招待客は色留袖が正式です。和服の正装、黒留袖です

ミスの場合  未婚女性の正装で第一礼装です。袖の長さによって大振袖、中振袖、小振袖に分かれます。花嫁衣装などには大振袖、成人式などでは中振袖が着られます。

ミスの和服の正装、振袖です

順礼装

訪問着……既婚・未婚に関係なく着られます。訪問着とは、柄が裾(すそ)、左胸、袖に入り、いずれも縫い目で模様が正しくつながるようになっています。場合によっては正装となりますが、拡張の高い式では順正装となります。

略装

色無地……染め抜きの一つ紋がついています。紋を縫い紋にすると、格が上がり、略礼装になります。

付け下げ……付け下げ訪問着。ただし、上前、胸、袖に模様はありますが、柄が繋がっていません。訪問着を簡略化した略礼装になります。

江戸小紋……小紋は江戸時代武士がつける裃(かみしも)の紋様として発達しました。主に街着やおしゃれな普段着として着用します。

他に街着や普段着として、紬(つむぎ)があります。紬には大島紬や結城紬など種類が多く、絹製品に負けない高価な紬もあります。

ここに帯を触れていませんが、代々呉服屋の家系に育った祖母は、着物の数より帯を沢山持ちなさいと言っていました。特に略装の色無地は帯次第で慶弔両方に着られとても便利です。私は茶席でも重宝しました。祖母は着物と柄を合わせた帯を締めて楽しんでいました。また、お洒落は目につかないところからと、表は渋い無地、裏返すと生き生きと鷹が松にとまっている絵柄が裏地全体に大胆に描かれた羽織を着て見せ、子供だった私を驚かせたものです。

次回は洋装のマナーについて書きます。


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