「誰にでも備わっている感覚は何か?」と問われれば、すぐに口を突いて出るのは「味覚」でしょうか。続いて「視覚」・「聴覚」・「嗅覚」、そして「触覚」が出てきます。今日はこの感覚について書きたいと思います。
「味覚」は食べ物の味を知る大切な器官です。
コロナ感染の影響で「味」を感じなくなって困っている、と言う話を聞きました。味を感じられないとは、食物の甘味、塩味、酸味、苦味、旨味あるいは渋味、辛味を感じられないと言う事です。「味覚」を無くす事は何よりつらいことだと思います。なぜなら、人の喜びの大半は「食」にある、と言っても過言ではないからです。一刻も早い原因究明とその解決がなされる事を願っています。
「味覚」に関して、こう言う話を聞きました。それは高原のオーガニックレストランでの事です。「とても美味しいお料理でした。」とスタッフの方に感想を述べましたら、「若い方には味気ないと、残される方がいるのですよ。今ではコンビニの作られた味が美味しさの基準になっているみたいでね。」と、肩を落とされました。そう言えば、基本の出汁の味を知らない人もいる、と聞きます。「味覚」は正直です。味覚に時代の変遷があるとは思えませんが、昆布、鰹節、煮干し、干し椎茸から生まれる自然の旨みを知らずに育てば、複合調味料がその人の味の基本になるのでしょう。レストランの方のあの残念そうな表情が忘れられません。
「視覚」これも大切な感覚です。
ものを見る事によって私たちは沢山の喜びをもらっているからです。話す相手の顔がわかる、本が読める、テレビやネットの画面を楽しむ、自然の美しさに感動する、などその喜びは計り知れません。
絵画の世界もこの「視覚」によって描かれ、印象派などの様々な美しい絵が生み出されました。日本でも展示されましたが、私はフランスのオランジュリー美術館で観たモネの「睡蓮」は忘れられません。この美術館はこの絵画を鑑賞するために建てられたと聞きます。展示室の中ほどにあるベンチに座り「睡蓮」の絵のプロセスを眺めていると、時間が飛んで行ってしまいます。「視覚」があるから人は光を感じ、更にイルミネーションのような新たな光を生み出し続けるのだと思います。
「聴覚」、人は生まれた時から知らずして何と素晴らしいものをもらっている事かと驚きます。
朝から小鳥の囀りで目覚める、人の話し声に慰められる、音楽を聴いて感動するなどその恩恵は書ききれません。これは聴覚が弱くなっていた父との思い出です。
亡き父は晩年耳が遠くなっていて、補聴器を助けとしていました。この話は、父の命が今日か明日かと危ぶまれる時の事です。母や伯母と3人で徹夜の付き添いをした翌朝の事でした。私は点滴だけで保たれている父の命が心細く、心も重く悲しくてなりませんでした。父が休んでいるベッドの頭まで行って「お父さん、私わかる?」と、話しかけてみました。父はいきなり枕から頭を持ち上げて大きく頷いたのです。補聴器もつけていない父の答えでした。私は言葉にならない感動で胸がいっぱいになりました。父は私に忘れられない温かい思い出を残して、その日の夕刻この世を去りました。
「嗅覚」、これが失われたら食べ物の美味しさは半減してしまうでしょう。
お料理をしている時、私は何度も食材やお料理のにおいを嗅いで、安全や美味しさ、味の決め手を確認します。悪い臭いは私たちの身体にも悪いからです。鮮度を無くした食材から良い匂いはしません。しかし例外で独特のにおいが好まれる食材もあります。
ところで、最近世相により変化したものに「香り」があります。昔は入院患者のお見舞いと言えば「花」でした。病院の中で花屋を常設している所もありました。でもこの花の香りが患者にとって負担とされ、お見舞いに使わなくなりました。そのせいで香りのある花が段々作られなくなりました。今ではどこの花屋からも芳しい香りが消えています。バラも香りのあるものはほとんど見かけません。外国の雑誌などに「むせるような大輪のバラの香り」などと書かれているのを読むと、私は残念でなりません。日本のバラは大輪であってもまるで造花です。香りは心を癒します。香りを残した花がどこかにあるのではないのかと、花屋に入ってはつい探してしまう私です。
「触覚」とは、触れて感じる器官の事です。
小さい子供は大人と手を繋ぎたがります。触れる事で安心感を得ているのでしょう。そう言えば、赤ちゃんをベビーバスに入れる時は体にガーゼを掛けました。お湯を怖がらないように。何かに触れると言うことは心を落ち着かせます。疲れ切った人の背中を優しく撫でてあげると喜ばれます。私は娘たちと小さい頃からよくハグを致しました。触れあう事で私たち家族は愛情を伝えているのだと思います。
私はしばらく盲目の方に体をほぐして頂いていた時期があります。その方のお宅に伺って施術を受けていたのですが、きちんと片付いた室内に驚きました。彼女の生活には「触覚」が大いに活躍していると思われるのですが、彼女の動きは洗練されていて無駄がありません。そして、私の体に触れながら的確な施術をし、片頭痛の痛みを取り除く方法まで教えて頂きました。手の「触覚」だけで人の痛みがわかり、誇らしく生きている彼女を素晴らしいと思いました。
人に備わっている様々な感覚、私たちは当たり前に思ってはいませんか?
確かに「感覚」とは身体の機能の一部だと思います。でも、無くして初めてありがたみを知るのでは残念です。たまにはその事に思いを馳せて、自分の身体に感謝したいと思います。
ESPOER 〜希望〜をもっと見る
購読すると最新の投稿がメールで送信されます。