洗練された人とは

美しい東京タワーです

20代前半頃の事です。どうしてその方に会う事になったのか、今では思い出す事が出来ません。でも、もしその方(藤井さん)に出会わなかったら、今の私は違う私になっていたのは確かです。

一体当時62歳だった彼女の何に惹かれたのでしょう。

藤井さんを一言で表現すると「卓越したエレガンス」の持ち主だと言う事です。

そして私はエレガンスの本当の意味を藤井さんに教えて頂いたと思っています。

藤井さんはとても小柄な方です。でも、アップにしたお顔立ちが美しく、お洋服のセンスと言えば、どうしてこんな色の取り合わせができるのかしらと思う程、微妙な色彩の組み合わせが素敵です。ご主人が外務省の方だったそうで、フランスやイギリスの滞在が長かった、と人伝に聞きました。センスの良さはその影響だったのでしょうか。

当時、藤井さんは職業婦人、英語とフランス語が堪能で、ある会社の秘書をされ、頼まれて来日外国人の通訳をされていました。

独り住まいの藤井さんは、私をとても可愛がってくださいました。「私の車、本当に汚いのよ。」とおっしゃりながら、愛車に乗せて何度も食事に連れて行って下さいました。が、ただ食事をするだけではありません。お鮨屋に入れば、カウンターに席を取り、鮨職人についての蘊蓄(うんちく)を聞く事になります。鮨職人は芸術家だとおっしゃって「手の動きをよく見なさい。ネタをつけてから手の温かさが移らないように3手で形を整えるのよ。」などなど。お鮨を頂く時のお作法も同時に教えて下さるのです。

何度か藤井さん宅に泊めて頂きました。仕事を持っている人らしく、リビングにはクラシックな家具が合理的に配置されています。お風呂場近くには化粧品一式が用意され、身支度は全てここで済むようになっています。お洒落にはとても興味をお持ちで、若い私の使っているアイシャドウと同じ色を試される、というお茶目な一面もおありでした。

お料理はあまりしないとおっしゃりながら、何度も美味しい朝食や夕食を頂きました。クラシックとオペラがお好きのようで、たまにリビングの端に据えられたピアノを弾かれます。そうそう、宿泊した時、私用にと真新しいパジャマが用意されていて、とても嬉かった事も思い出の一つです。

ある日の事です。藤井さんがお留守の時がありました。携帯電話の無い頃の話です。玄関前で困っていると、お隣の方が話しかけて来て「今日は息子さんの命日なの」と不在の理由を教えて下さいました。

驚きました。息子さんの話を一度も伺った事がありません。そう言えば、どの家庭にもある家族写真がリビングのどこにも、一枚も無かった事を思い出しました。

後日、藤井さんにそれとなく伺いました。藤井さんには息子さんがお二人いらしたそうですが、お二人とも海の事故や交通事故で亡くされたとの事でした。余りのショックなお話に、藤井さんのお顔がまともに見られず俯いていた私に「着いてきて。」と言われて、初めて2階に上がりました。お部屋に入るとその小ぢんまりとした室内は四方が本で埋まっていました。「ここが息子の部屋なの。」窓から光の差し込む机の上には読みさしの文庫本が一冊、開いたのをそのまま伏せて置いてありました。

そう言えばいつだったか、リビングのサイドテーブルに置かれた香炉から、良い匂いが漂っていた時がありました。息子さん達のお写真を飾れない程、深い心の痛みを抱えていらした藤井さん。息子さん達は藤井さんの心の中でいつも一緒に生きていらっしゃるんだと思いました。

藤井さんの深い悲しみや寂しさが、未熟な私の心にも深く突き刺さりました。

その後も藤井さんにはいろんなことを教えて頂きました。私は彼女の事を尊敬と憧れの思いを込めて「藤井のママ」と呼びます。

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